目上の方への敬意

『認知症28の満足』を読んで、私が「この先生は本物だ!」と確信し感銘を受けた1番のポイントは、実は認知症の治療に関することではないのです。(治療の効果については凄すぎてすぐに信じられず、眉唾ではないかと少し疑っていたのはここだけの話。)

 先生は趣味がプラモデル作りなこともあり戦争の歴史に詳しく、そのことで戦争を経験されている高齢患者さんとよい関係を築かれるのが得意なのだそうです。出身地や生まれからその方の出撃した地域や部隊の名前を当てたり、翌診察日までにそのことについて調べておいて話が合うようにするという徹底ぶり。認知症の方は最近の記憶は抜け落ちていても、昔の記憶はよく保持されている方が多いし、若くして活躍した記憶は誇らしいものとして残っていることが多い。子供や孫世代も、臭い物にはフタで戦争の歴史に触れないので、そのことに関心を持って聞いてもらうことで「またあの先生の所になら行く」という患者さんが多いのだとか。認知症患者さんは有名なお偉い先生だとかそんなことはどうでもいいですし、野生の勘のような鋭さで「相手がどういう中身の人間か」を判断します。本能的に「敵」か「味方」か、好きか嫌いかを判断するのだそうです。(『痴呆老人」は何を見ているか』より)ごまかしが利かないという意味ではコワいですね。

 先日他界された患者さんで、若い頃に満州に行かれていた男性がいました。90歳を超えているのに筋骨隆々で勇ましく、素敵な方でした。訪問診療をしていたのですが、お宅にお邪魔する度に、満州でのお話をしてくれました。自分一人中国語が出来て現地の中国人と対等にやりあえたお蔭で命拾いした話とか、電信柱に「この男を見つけたら銃殺せよ」と指名手配された話など、手に汗握る物語の数々。実は入れ歯が合っていなくて少し滑舌が悪く、熱心に話して下さる話の内容が半分くらいしか理解できなかったのですが(笑)そのお陰か繰り返し聞いても聞き飽きた感じがせず、今日はここの部分がちょっと理解できたとジグソーパズルを埋めるような達成感もあり。毎回あまりにも一生懸命語って下さるので、同席する奥さんと娘さんは笑いをかみ殺していましたが。

 ちょうどその頃、満州からの引き揚げについて書かれた本『流れる星は生きている』を読んだばかりでその壮絶な様が少しは想像できました。目の前にいる患者さんは、それを実際に経験された方なのだ、こういう人たちが必死に生き抜いて命をつないでくれたからこそ今日の私たち日本人がいるのだと思うと、自然と頭が下がります。一緒に引き上げられた奥さんは、「思い出したくもないくらい大変だった」とおっしゃっていましたが、夫である患者さんは良い所しか覚えていないようです。こんな貴重なお話を直に聞けるなんて、役得だな…と思っていました。

 この方は訪問しているうちに悪性腫瘍の疑いが非常に強くなり、何度か精密検査を勧めましたが、病院も入院も大っ嫌いだときっぱりと拒否。緩和ケア一本で最期まで自宅で過ごされました。ご自宅で亡くなる数日前も、少し調子がよくなったとそれまで寝ていた布団から隣りのちゃぶ台がある部屋に移動され、少し息切れしながらいつもの武勇伝を聞かせて下さいました。命の残り火が少ないことはよくわかっていたので、この話を聞けるのも今回で終わりかな…と切ない気持ちを押し殺し拝聴。亡くなったのは2週間後の訪問日当日で、あと1軒でその患者さんのお宅に訪問、というタイミングでした。
 
 もう貴重なお話を聞くことは出来ないのだと思うと、一つの時代が去っていったことを寂しく感じましたが、後日娘さんと外来でお話するチャンスがあり、
「私たちはもう何回も聞いているからと、話をきちんと聞くことが全くなかったので、先生に話を聞いてもらうのを楽しみにして、毎回ちゃぶ台の前に座って準備していました。」
と教えて頂いた時には、胸が温かくなりました。

 河野先生の行動の根っこにあるのは、相手に対する敬意なのだと思います。先生いわく「海外に行くのに英語を勉強するように、高齢者と接するのには戦争の歴史を学ぶのは礼儀。」なのだそうです。私は河野先生を認知症の師としていますが、知識やノウハウのみならずそう言った診療スタイル(生き方)も自分のものにしたいと思います。残念ながらプラモデル作りの趣味はないので戦争について河野先生ほど詳しくなれることはないと思いますが。
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by kasama-hospital | 2013-08-26 23:49 | 認知症・介護

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